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  • 執筆者の写真ヒギ

パリメトロ

パリのメトロ(Métro de Paris)はパリ市内、および一部郊外へ路線を有する地下鉄である。既存の鉄道路線との乗り入れはない。パリ中心部から郊外に直通するRERについても、市内では地下路線であり、メトロと重複する路線もあるのでパリ市内においては地下鉄と扱われることもある。本稿では以下、メトロと記す。

パリのメトロには、1号線から14号線まである。RATP(パリ交通営公団: Régie Autonome des Transports Parisiens)が運営している。アンパン男爵の会社が敷設した。


1号線が最初に開通したのは1900年で、パリ万博にあわせて開通した。入り口のデザインはアールヌーヴォー建築で有名なギマールが設計した。パリ市内の中心部を西から東へ横断する1号線と、1860年オスマン男爵によるパリ拡張以前のパリの境界線であった旧城壁(フェルミエー・ジェネローの城壁)跡の大通り(Grand Boulevard)に建設された北回りの2号線と南回りの6号線、この3つが主要路線である。


以後およそ30年で網の目のように発展し、14路線が作られたが、この時作られた旧14号線は後に13号線に編入され、以後長期間13路線が存在した。これらの各駅はすべて戦前に作られたが(郊外に延伸した部分の駅を除く)、駅構内自体は改装を繰り返しており、アールヌーヴォーのほかアールデコなど各時代を代表する建築デザインや、ある特定のテーマのデザインを取り入れた駅があちこちに存在する。


3号線と7号線にはそれぞれ3bis号線、7bis号線と呼ばれる独立的な支線が存在する。これらはメトロの路線図でも色が分けて書かれているとおり、支線の中の折り返し運行である。また7号線と13号線は分岐しており、10号線と7bis号線は一方通行区間が存在する。3bis号線の生まれた経緯は、もともと Porte des Lilas(ポルト・デ・リラ)までの路線だったものが、戦後になって Porte de Bagnolet(ポルト・ドゥ・バニョレー)および Gallieni(ガリエニ)の方が重要な街となったため、Gallieni方面へ延伸しながら路線の行き先を変更し、今までの路線は切り離して分離運行することになったためである。7bis号線は、7号線のPorte de la Villette方面とともに北方面の分岐だったがPorte de la Villette方面との輸送量の差が大きく運行の効率が悪かったため、Pré Saint-Gervais方面を切り放して独立路線にした経緯がある。この3bisと7bisを繋げ一つの路線に統合する計画は1921年に頓挫したが、2006年に復活して推進されている(詳細は本稿の廃駅項目を参照)。


1998年に現在の14号線が開通した。この14号線はメテオール(METro Est-Ouest Rapide、東西高速地下鉄。「流星」の意味もある)と呼ばれ、自動制御で無人運転されており、ホームドアがつくなど駅舎も大変モダンなデザインである。2003年秋に北西方面が サン・ラザール駅まで延伸した。現在南方面が Tolbiac(トルビアック)、さらに Maison Blanche(メゾン・ブランシュ)方面へ延伸するため工事中である。


メトロに地下鉄の訳語が当てられているように、大部分が地下を走るが、本来は都市交通の意味であり、地下鉄に限定するものではない。6号線の多くの部分や2号線の一部、また橋を渡る際の5号線や、郊外の橋を渡る1号線や8号線などは、地上に出る部分もある。中でも6号線の高架の部分は観光ルートでもあり、Bir-Hakeim(ビル-アケム)付近ではエッフェル塔が絶好のポジションで眺められるので、その車窓は観光客に人気が高い。


フランス国鉄は全国的に左側通行だが、メトロは道路と同じ右側通行である。


出典:ウィキペディア

公式サイト: https://www.ratp.fr/plan-metro

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ヒギ

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